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◆配置薬の起源となった……「江戸城腹痛事件」
300年以上の歴史を持つ、越中富山の薬売り。
今でこそ「薬の富山」として有名ですが、富山が薬で有名になったのは、ある事件がきっかけでした。
その事件とは、有名な「江戸城腹痛事件」。
富山藩藩主が、江戸城内で他藩の大名の腹痛を越中の薬で救ったという、 まるでドラマのひとこまのようなできごとでした。
この事件がきっかけとなり、「越中富山の薬」の名が日本全国に広まることとなったのです。
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「佐々成政」や「富山の薬売り」などの著作で知られる、富山にお住まいのノンフィクション作家
遠藤和子さんの著作から、この江戸城腹痛事件のあらましをご紹介します。 |
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薬売り成功の知恵−富山のセールスマンシップ−
越中富山の薬売り三百年の歴史のなかに、日本経済不況打開の知恵をさぐる。
遠藤和子 著(サイマル出版)
より抜粋 |
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元禄三年(1690)12月15日(現1月13日)。
富山藩二代藩主・前田正甫(まさとし)は、将軍綱吉に歳暮の挨拶と病気回復の報告をするため、江戸城大広間で謁見の順を待っていた。
(中略)
異変が起きたらしい。正甫は通りすがりの茶坊主に声をかけた。
「何事が起きたのか」
「陸奥国三春(福島県)当主、秋田信濃守(輝季)様が差しこみを起こされたのです」
茶坊主はいいざま小走りに去った。 |
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正甫が帝鑑間に駆けつけると、輝季が右手で腹部を押さえ、体をよじりながら苦しんでいる。額から脂汗がにじみ出ている。よほど激しい腹痛らしい。周りでは、大名たちが慌てふためき、おろおろしている。正甫は輝季のそばに駆け寄った。そしてすばやく腰の印籠から丸薬を取り出すと、白湯とともに口に含ませた。
ほどなく輝季の顔に赤みがさし、静かに目を開けた。さしもの激痛が治まったらしい。目の色が和らいでいる。部屋に安堵の空気が流れた。
「あれほどの激痛が治まるとは……」
「霊験奇効とはこのことだ!」
「なんとすばらしい霊薬!」
「薬は、死んだ魂でも蘇るといわれる延寿反魂丹(えんじゅはんごんたん)で……」
(中略) |
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居合わせた大名たちは、この薬が富山藩では薬種商の手で造られ、市場に出回っていることを聞くと、口々に頼んだ。
「ぜひともわが藩に売り広めてくださるまいか」
正甫が輝季の差しこみを治したことは、その日登城してきた大名たちの間に知れ渡った。噂を聞いた大名たちが大広間にやってきては、それぞれ領内での売薬を依頼した。
(中略)
江戸城腹痛事件という偶然のきっかけで始まった売薬回商。
正甫は翌年(1691)五月、富山城に戻ると、薬種商、松井屋源右衛門(げんえもん)に依頼藩の売薬回商を命じた。 |
薬売り成功の知恵−富山のセールスマンシップ−
遠藤和子 著 (サイマル出版)
より抜粋 |
※この有名な江戸城腹痛事件は、史家によって様々な異説が唱えられているものの、事実であった可能性が高いと言われています。 |
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